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山形地方裁判所 昭和34年(ワ)65号 判決

原告(反訴原告) 横岫部落会

被告(脱退) 水沢区 当事者参加人(反訴被告) 和田右近

主文

一、原告(反訴原告)が別紙目録〈省略〉記載の土地につき賃借権(転借権)を有することを確認する。

二、当事者参加人(反訴被告)は別紙目録記載の土地に立入り、その他原告(反訴原告)の占有及びこれが利用を妨げる一切の行為をしてはならない。

三、当事者参加人(反訴被告)の請求は之を棄却する。

四、訴訟費用は、当事者参加訴訟及び反訴を通じて当事者参加人(反訴被告)の負担とする。

事実

当事者参加人(反訴被告、以下単に参加人と略称する)訴訟代理人は、参加人が別紙目録記載の土地につき地上権を有することを確認する、原告(反訴原告、以下単に原告と略称する)は右土地に立入り、参加人の占有を妨げる一切の行為をしてはならない、参加による訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、その請求の原因として、

一、別紙目録記載の本件土地はもと西村山郡西山村大字水沢の区有地であつたところ、昭和四年に部落有財産統一のため之を当時の西山村に譲渡(寄付)したのであつた。又、昭和二十九年十月一日の町村合併の結果本件土地は西川町に移転され、現在では西川町々有地となつている。

二、本件土地については水沢区の区有の頃参加人の亡父訴外和田峯麻津が夫々次の如き経過で其の地上権を取得した。

(一)  テツポウナシの分については、明治四十年十一月二十七日より大正十三年十二月三十日迄の間に、譲渡人訴外木村登能茂、同大泉右京、同木村太膳より、

(二)  その余の分については、明治三十八年一月二十七日より大正二年一月十日迄の間に、譲渡人訴外木村太内、同木村柯太郎、同木村太巻より。

三、昭和八年に訴外亡和田峯麻津の死亡により参加人が相続により右地上権を取得した。勿論本件土地上には亡父の時代より杉木を植栽しその後今日に及んでいる。

四、以上の如き次第であるから本件土地の地上権は参加人が持つていることが明らかである。然るところ、原告部落会は理不尽にも昭和三十年十月十三日付を以て参加人を被告に山形地方裁判所に対し本件土地につき占有妨害排除の訴を提起したが(山形地裁昭和三〇年(ワ)第一五一号)、昭和三十三年五月二十一日原告敗訴の判決言渡となつた。右判決に対し原告は仙台高等裁判所に控訴し(仙台高裁昭和三三年(ネ)第二九四号)、目下同裁判所に於て審理中のものである。

五、尚、原告は参加人の地上権が消滅しているかの如く主張するのでこの点につき付陳するに、地方自治法第二百九条によれば、「旧来の慣行により市町村の住民中特に財産又は営造物を使用する権利を有する者があるときは、その旧慣による。その旧慣を変更し又は廃止しようとするときは、市町村の議会の議決を経なければならない。」「前項の財産又は営造物をあらたに使用しようとする者があるときは市町村は、議会の議決を経てこれを許可することができる。」と規定している。本件土地は原告も認めている如く従来は参加人に於て旧慣による「手入権」を保有していた土地である。而してその後(自治法制定施行後)に於て右旧慣による参加人の「手入権」を変更した西村山の村議会の議決もなく、原告に本件土地の「手入権」を設定した議決もなされていない。従つて、本件土地に対する参加人の「手入権」は今日尚存続しているものと見るべきである。参加人の「手入権」が消滅しているとの原告の主張は誤つている。又原告は被告水沢区が制定した「水沢区村有借受地運営規則」によつて参加人の「手入権」が消滅したかの如く主張するが、右運営規則は地方自治法第二百九条に照して無効と解すべきであるから、参加人の「手入権」は之により何等の影響をも受けるものでない。

と陳述し、原告の抗弁を否認し、反訴請求につき、本案前の答弁として、本件反訴を却下する、反訴に関する訴訟費用は反訴原告の負担とするとの判決を求め、本案前の抗弁として、民事訴訟法第二百三十九条によれば、反訴を提起し得る者は被告に限ることになつている、然るに、反訴原告は本案に於ても原告であつて被告ではない、従つて、反訴原告の本件反訴の申立は違法として却下されるべきものであると述べ、

本案につき、反訴原告の請求を棄却する、反訴に関する訴訟費用は反訴原告の負担とするとの判決を求め、反訴請求の原因に対する答弁として、原告の主張事実中参加人の主張に反する部分はすべて之を否認すると陳述した。〈立証省略〉

原告(反訴原告、以下単に原告)訴訟代理人は、参加訴訟につき、請求棄却の判決を求め、答弁として、請求の原因第一項は認める、同第二項は不知、同第三項は否認する、同第四項は、占有妨害排除の訴を提起して原告敗訴の判決を受け、控訴して目下審理中であることは認めるがその余の事実を否認すると陳述し、原告の主張は反訴請求の原因の通りであると述べ、

反訴につき、第一次的に、原告が別紙目録記載の土地につき被告水沢区との間に賃借権(転借権)を有することを確認する、反訴被告は右土地に立入り、その他原告の占有及びこれが利用を妨げる一切の行為をしてはならない、反訴に関する訴訟費用は反訴被告の負担とするとの判決を、予備的に、原告が別紙目録記載の土地につき西村山郡西川町との間に賃借権を有することを確認する、反訴被告は右土地に立入り、その他原告の占有及びこれが利用を妨げる一切の行為をしてはならない、反訴に関する訴訟費用は反訴被告の負担とするとの判決を求め、その請求の原因及び参加訴訟に対する抗弁として、

一、原告部落会はもと横岫組、その後横岫部落などと称し、永い沿革と慣例に従つて横岫と呼ばれる西川町(旧西山村)大字水沢地内の一定の区域に居住する世帯主によつて組織され、西川町(旧西山村)とは別に、道路、用水路の開設維持、造林、警防、衛生その他の共同福祉事業を営み、之に必要な施設、資材その他の財産を有し、また総会を開き代表者その他の役員を選出し、諸経費は規約に従つて構成員たる世帯主に賦課徴収される等、統制ある共同団体を構成して居り、又一方被告水沢区も右と同様古くより西川町(旧西山村)大字水沢地内の一定の区域に居住する世帯主によつて組織され、前記横岫部落につき記述したのと同種の事業を営み且つ同種の性格(殊に、被告水沢区が西川町より一括賃借した町有地を同区内の団体又は個人に転貸することが主要な事業の一つである)を有し、原被告共民事訴訟法第四十五条の当事者能力は有しないが、同法第四十六条の、その名に於て訴え、訴えられる社団に該当する。

二、而して、本件土地は前記西川町(旧西山村)の所有で、昭和四年五月頃より被告水沢区に於て之を借受けていたところ、原告部落会は昭和二十五年十一月一日被告水沢区より同区が制定した水沢区村有借受地運営規則の定めに従つて転借し、その引渡を受け、杉苗約千三百本を植栽し年々下刈等の手入をなして来たものである。以下之を詳述すると、

本件土地は古くは西山村(西川町の前身)各区の区有財産の一部に属し、古来よりの慣行に従い全区民に於て入会的共同使用を続けて来たものであるところ、昭和四年五月頃御大典記念事業として挙村々民一致の議により部落有財産の整理統合を計り、特殊関係ある土地の一部を除く全土地を挙げて村に寄付して村有とし、村は寄付を受けた土地につき従来の慣行に従い当時現に利用しつつある部落及び各個人に当時の現状に於て賃貸することを協定した。ところが、昭和十九年二月二十五日の村会の決議により、同協定付則として、前記寄付に係る村有地を各部落(区)単位に賃貸することとし、換言すれば、各個人が独立して賃借する場合はあり得ないこととし、之を部落民の何人に使用させるか及びその賃料の収受取立等の要務をすべて各借受部落の責任に於て代行させることに改めた。この付則は昭和二十五年十二月十二日の村会に於て一部改正されたが、その大綱に変化なく、今日も尚実施されている。

即ち叙上の協定の趣旨に従い、本件土地は被告水沢区に於て借受けたものであつて、参加人個人に於て賃借権を有するが如きことはあり得ないは勿論、被告水沢区に於ては、右借受地を昭和二十五年一月制定の水沢区村有借受地運営規則(甲第二号証)により運営して来たものであつて、同規則によれば借受地の内人工植林をなした土地の借地期限を立木一代限りとし、又、人工植林一団地中全材積の十分の六以上を伐採したときは皆伐と看做し残存立木と共に借地関係が終了すると定めているところ、本件土地は右運営規則により従来参加人によつて利用されていたが、昭和二十五年七月頃本件土地上の立木を参加人が皆伐し、仮りに皆伐にまで至らないとしても十分の六以上を伐採したので借地関係(地上権若しくは賃借権、転借権)は終了するに至つた。

そこで、原告部落会が被告水沢区に対しその伐採跡地全部の借入方を申込んだところ、昭和二十五年十月一日開催の水沢区協議会の決議により承認を受けたので、原告が本件土地に対する賃借権(転借権)を取得するに至つた次第である。以上何れの観点よりするも、本件土地に賃借権を有するものは原告であつて参加人ではない。参加人は本件土地に地上権を有すると主張するが、かかる権利取得の根拠は絶無である。

三、更に原告の賃借権の性質を考察するに、叙上諸協定又は規則の上よりすれば、第一賃借人を被告水沢区とする転借権と考えられるが、仮りに然らずとしても、賃貸人を西川町とし、賃借人を原告とし、被告水沢区はその間の賃貸人の事務を代行処理するに過ぎないもので、法律上は直接の賃貸借とも考えられる。よつて原告は予備的に西川町との間に賃借権を有することの確認を求めるものである。

四、仮りに、参加人が本件土地上にその主張の如く地上権を有するとするならば、その権利取得につき登記手続を経ていないことが明らかであるから、民法第百七十七条により、同一物件に有効なる賃借権を有する原告はその対抗を受けないと抗弁する。

五、尚、参加人は本件反訴の不適法を主張するが、抑も本件は原告が最初被告水沢区を被告に本件土地に関する賃借権の存在確認を訴求したのに対し、参加人は自己に地上権が存在することの確認を求める主参加訴訟を提起し、その後被告水沢区は原告の主張全部を認めて本訴より脱退したので参加人は実質的に原告の立場になり、原告は実質的に被告の立場になつたものである。従つて、参加訴訟の被告とも言うべき原告部落会が参加人を相手方として反訴を提起するのは何等違法ではなく、然らざる限り原告本来の主張を確認する方法を失うことになる。

と陳述した。〈立証省略〉

理由

一、反訴の適否について

参加人は、本件反訴が民事訴訟法第二百三十九条本文に違背する不適法なものであると抗争するけれども、民事訴訟法第七十一条による参加人に対しては本訴の当事者たる原告、被告の何れからも反訴を提起することが出来ると解すべきであるから、この点に関する参加人の主張は採用し難く、本件反訴は適法である。

二、当事者間に争なき事実

参加訴訟の請求の原因第一項の事実は参加人と原告との間に於て争がない。

三、参加人主張の地上権について

よつて先ず参加人主張の地上権の存否について案ずるに、(一)成立に争なき丙第六、七号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる丙第十六乃至第二十二号証、証人大泉頼雲の証言、参加人本人の尋問の結果(第一、二回)及び弁論の全趣旨を綜合すると、本件土地は参加人の亡父訴外和田峯麻津が明治三十八年一月二十七日頃より大正十一年十二月三十一日頃迄の間数回に亘り譲渡人訴外木村登能茂、同大泉右京、同木村太膳、同木村太内、同木村柯太郎、同木村太巻等より「手入権」「松林手入権」「地上権」「共有地手入場」等と称する権利を譲受けた所で、その際作成された譲渡証には、譲受人は本件土地を植林のために「永々」と「自由」に使用することが出来、然も「自由」に権利を処分することが出来る旨の記載が有り、且つ右権利の譲渡につき当時の本件土地の所有者たる被告水沢区にその同意を求めた形跡が見当らないこと、参加人の亡父は昭和十三年以前に死亡し、参加人が右の権利を相続により取得したこと、(二)証人渡辺久三の証言及び参加人本人の尋問の結果(第一回)により成立を認め得る丙第十二号証の一によると、西川町森林組合保管の公有林実台帳に昭和三十四年四月一日現在で参加人が本件土地の地上権者である旨の記載があること、(三)成立に争なき丙第十三号証、甲第十四第十五号証の各一、証人荒木民蔵の証言により成立を認め得る甲第十四号証の二、甲第十五号証の二乃至四によると、西山村役場保管に係る公有林台帳に昭和二十九年三月三十一日迄参加人が本件土地の地上権者であつた旨記載されていること、(四)成立に争なき丙第二十三号証によると、西山村役場保管に係る公有林名寄帳に昭和二十九年三月三十一日現在で参加人が本件土地の地上権者である旨記載されていること、(五)参加人本人の尋問の結果(第一、二回)及び検証の結果によると、参加人は亡父の代より昭和二十六年頃迄の間本件土地を杉木の植林のために使用し引続き之に手入を加えて来たこと、(六)成立に争なき丙第四号証の一、二、証人荒木の証言により成立を認め得る丙第一号証、参加人本人の尋問の結果(第一回)により成立を認め得る丙第二号証、同第三号証の一、二、同第十、第十一号証の各一、二及び同尋問の結果によると、参加人は被告水沢区に対し昭和三十年度より昭和三十三年度前期分迄本件土地の地代を納入し、昭和三十三年度後期分よりは受領を拒絶されたので之を弁済供託していること、以上の事実を夫々認定することが出来る。成立に争なき丙第五号証の二、同第八号証を以てしては右認定を動かすに足りず、証人佐藤宗一の証言及び原告代表者の本人尋問の結果(第二回)の内右認定に反する部分は措信し難く、その他之を覆えすべき証拠は存在しない。

右の事実によれば、参加人が本件土地につき植林を目的とする借地権を有することが明らかである。そこで、更に進んで参加人が亡父より承継した本件土地に対する「手入権」「松林手入権」「地上権」「共有地手入場」等と称する権利の性質について考察を加えるに、一般に借地権の設定者が通俗に「地上権」と言つている場合でも賃借権の締結である場合が多いのであるから、参加人の亡父の譲受けた権利が「地上権」と表示されていたり、前記公有林実台帳、公有林台帳、公有林名寄帳等に夫々参加人の権利が「地上権」と記載されているからと言つて一概に之を地上権であると認定することが出来ないこと当然であるが、然し、参加人の亡父が譲受けた権利は植林の目的で土地を使用する性質のものであつて、その譲受けが明治三十八年一月二十七日頃より大正十一年十二月三十一日頃迄に亘るものとすると、譲渡人及びその前主の権利は更にその数十年以前に設定されたことが推認されるものと言うべく、若しそうだとすると参加人の亡父が譲受けた権利は明治三十三年三月二十七日法律第七十二号「地上権ニ関スル法律」が適用されて「地上権」と推定される公算が極めて強く、このことは参加人の借地権の性質を決定する上に重要な意味を持つと考えるべきである。之に、右借地権の譲渡について本件土地の所有者たる被告水沢区に承諾を求めた形跡がなく譲渡の自由が許される点や譲受人が存続期間の制限を受けずに長期に亘つて使用出来る点等を併せ考えれば、その物権的性質は益々増加すると言わざるを得ぬこととなり、結局、参加人の借地権は賃借権に非らずしてその主張の如く地上権であると認めるのを相当とする。

ところで、原告は参加人が若し本件土地に地上権を有するとしても、それは昭和二十五年一月制定の「水沢区村有借受地運営規則」によつて終了していると抗争する。なる程、成立に争なき甲第一号証、証人荒木の証言及び被告代表者本人の尋問の結果により成立を認め得る甲第二乃至第五号証並びに同証言によると、後記認定の如く西山村より被告水沢区が賃借した村有地を運営するについて、被告水沢区は昭和二十五年一月に「水沢区村有借受地運営規則」なるものを制定して之を全区民に知らせ、その中に於て、村有地につき個人が人工植林をなしたものは立木一代限りの期限内に限り転貸することとし、人工植林一団地中全材積の十分の六以上を伐採したときは皆伐と看做して借受地を被告水沢区に返還すべき旨定めていることが認められる。そして本件土地が右の村有地に属することは争なき事実であり、証人大泉竹松、同木村修三の各証言、被告代表者及び原告代表者(第一回)の各尋問の結果並びに検証の結果によれば、本件土地上の樹木は昭和十七八年頃殆んど伐採されたことが認められるので原告の抗弁は一応理由があるものの如くである。けれども、前記運営規則が参加人の地上権に適用されるか否かは頗る疑問の存するところである。即ち、本件土地の所有権は昭和四年に被告水沢区より西山村に移転しているので、その後に於て地上権設定者の地位にない被告水沢区が従来の権利を制限するが如き規則を制定し得るか何うかは疑しく、仮りに被告水沢区が西山村の事務を代行する立場にあり、被告水沢区の行為が即ち西山村の行為であると解釈しても、前顕甲第一号証により認められる「西山村部落有財産整理統一協定」及び前記運営規則を仔細に検討すると、之等が従来既に設定されていた村有地に対する部落民の既得権を制限する趣旨のものとは解し難く、却つて従来の既得権はそのまま旧慣として存置し、爾後の借地関係を整理する趣旨に出たものと解される許りでなく、地上権の存続期間を設定者側の一存で制限出来るものか何うかも疑わしい次第であるから、参加人の地上権は前記運営規則により何等拘束されぬと考えるのが相当である。従つて原告の抗弁は排斥を免かれず、参加人の地上権は尚存続していると認めるべきである。

然し、原告が右地上権は対抗要件を具備していないと争うのに対し、参加人はその設定登記手続を経由したことを認むべき証拠を全く提出しないので、参加人の地上権は対抗要件を具備しないまま存続していると認めるに外なきものである。

右の通り、参加人の地上権は消滅していないので、参加人の地方自治法第二百九条に関する主張に対しては判断の必要がなくなつた訳であるが、念のため右の主張につき一言するに、同法同条に言う「旧来の慣行による使用権」とは、市町村の住民たることにより認められる権利であつてその性質は公法上の権利であり、当該市町村の住民でなくなれば当然その権利を喪失するもので私権とはその性質を異にすると解すべきであるから、この点よりしても右主張は本件に関係なきものと言うべきである。

四、原告主張の賃借権について

次に、原告の反訴請求について判断を加えることとする。(一)前顕甲第一号証、原告代表者の本人尋問の結果(第一回)と之により成立を認め得る甲第十一号証、弁論の全趣旨により成立を認め得る甲第二十号証、証人荒木、同佐藤の各証言及び被告代表者の本人尋問の結果を綜合すると、反訴請求の原因第一項の事実をそのまま肯認することが出来て他に之に反する証拠はない。(二)前顕甲第一乃至第五号証、甲第二十号証、証人荒木、同佐藤の各証言及び被告代表者の本人尋問の結果を綜合すると、本件土地はもと被告水沢区の区有財産に属し、他の区有地と共に古来よりの慣行に従い同区民により共同使用されて来たものであるところ、昭和四年五月十四日頃御大典記念事業として西山村々民一致の議により各部落有財産の整理統合を計り、特殊関係のある一部の土地を除き全土地を挙げて西山村に寄附して村有とし、村は寄附を受けた土地につき従来の慣行に従い当時現に利用しつつある部落及び個人に当時の現状に於て賃貸することとし、その旨を定めた「西村山郡西山村部落有財産整理統一協定」なるものを制定し、更に昭和十九年二月二十五日の村会決議により、前記協定の付則を定めて、前記寄附に係る村有地を夫々寄附した各部落(区)に村が賃貸する関係に立つことと各部落が村に代行して右借受地の利用を計るべき旨を明確にしたこと、そこで、被告水沢区は昭和十九年に「水沢区村有借受地運営規則」を制定し、昭和二十五年一月に之を改正して右借受地の適正な運営を計つたこと、(三)前顕甲第十四、第十五号証、証人大泉竹松、同荒木の各証言及び被告代表者本人の尋問の結果と之等の供述により成立を認め得る甲第七号証の各一、二、原告代表者本人の尋問の結果(第一、二回)と之により成立を認め得る甲第九号証、証人荒木の証言により成立を認め得る甲第十六号証の二、同第十七号証、証人木村の証言並びに検証の結果を綜合すると、原告は昭和二十五年七月二十四日被告水沢区に対し本件土地を植林の目的で借受けたい旨申込み、之に対し被告水沢区は前記運営規則に則り同年十月一日原告に本件土地を転貸することを決定し、その頃本件土地の引渡を了して翌昭和二十六年頃より原告は之に杉苗を植林し、以後毎年に亘り下刈等の手入を続けるに至つたこと、原告は昭和三十年度前期分より被告水沢区に対して本件土地の賃料を納入していること、以上の事実を夫々認定することが出来る。他に之を覆えすに足りる証拠はない。そうだとすると、本件土地は昭和四年五月十四日頃被告水沢区が西山村より賃借し、昭和二十五年十月一日之を原告に転貸したものと認められるから、原告の予備的請求に対する判断はその必要がないことになる。

五、参加人の地上権と原告の転借権との関係について

果して以上の如くであるとすると、本件土地には参加人の地上権と原告の転借権とが併存していることになつて一見奇異の感がない訳ではないが、然し前記認定の如く、被告水沢区が本件土地の地代を原告及び参加人の双方より二重に領収していることや、本件土地上の権利関係を正確に公示すべき公有林実台帳、公有林台帳、公有林名寄帳等の記載が夫々区々で、昭和二十九年三月三十一日迄参加人の地上権が存続していたとするもの、昭和二十九年三月三十一日迄参加人の地上権が存続していたとするもの、昭和二十九年三月三十一日現在又は昭和三十四年四月一日現在で尚参加人が本件土地の地上権者であるとするもの等が存在することや、更に本件地上に参加人の植樹した杉苗と原告の植樹した杉苗とが混り合つて成育していること等はこの間の事情を物語つていると思料される。そこで、参加人の地上権と原告の転借権との関係を如何に解するかと言うことが残された重要な争点になる。先ず地上権が登記を経なければ第三者に対抗力を持たぬ物権であることには異論がなく、その対抗力の欠缺を主張し得る第三者とは、当該不動産に関して有効なる取引関係に立てる第三者の範囲に制限されるべきであるが、本件の如く、地上権の設定された同一不動産上に有効なる賃借権又は転借権を取得した者は右に言う「有効なる取引関係に立てる第三者」に該当すると言わざるを得ぬところであり、結局、参加人は原告に対して登記のない地上権の取得を以て対抗することが出来ない結果になる。そして、対抗することが出来ないと言うことは、参加人が原告に対し自己に地上権が有ることを主張し得ないと言うことに外ならないから、参加人の地上権存在確認の請求並びに地上権の存在を前提とする妨害排除の請求はすべて失当として棄却を免かれないものである。之に反し原告の賃借権(転借権)存在確認の請求は理由が有るから正当として之を認容すべく、又原告の賃借権は目的物件の引渡を了した賃借権であるから之に基く妨害排除の請求も正当として認容されなければならない。

六、結論

以上の如く、当裁判所の判断は参加人の借地権が地上権でありそれが尚存続しているとの認定に基づくものであるが、仮りに之と異る事実認定に立つとしても結論に於て差異は生じないと思われる。即ち、参加人主張の借地権が若し地上権でないとすればこの点に於て既に参加人の請求は失当であり、地上権ではあるが、前記「運営規則」の適用を受けるものとすれば参加人が本件土地上の樹木を伐採した時に存続期間が満了して権利は消滅に帰し、何れにしても当裁判所の到達した結論と軌を同じくするからである。

よつて、原告の反訴請求の内第一次的請求を認容し、参加人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用した上、主文の通り判決する次第である。

(裁判官 西口権四郎 石垣光雄 加藤一隆)

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